彼女にはいつも。
 振り回されてばかりだ。


 ある晴れた日。
「………」
 俺の目の前にはぷっくりと頬を膨らませている恋人が正座していた。
「……何を怒ってるんだ、ヒトミ」
「怒ってません」
 そう後ろを向いてしまった怒ってないらしい恋人を見遣って溜息をつく。
(どこがだ…)
 最初はすぐに機嫌も直るかと思っていたのだが、この状態がかれこれ30分ほど続いている。
 もちろん30分の間に色々な言葉を掛けたが、全て「なんでもありません」「怒ってません」の2つの単語しか返って来ず、蓮はいよいよ首を傾げた。
 彼女の言動や態度から明らかに自分が何かしてしまったようなのは確実なのだが、問題はその原因がまったく思い当たらないことだ。

(確か…)
 一昨日までは普通だったはずだ。俺の部屋で茶を飲みながら他愛のない話をして。
 その内、宿題が分からないと問題集を持って来ていたヒトミにヒントを教えて(仮にもデートに宿題を持って来られたのも内心複雑だったが)
 ついでにその日の宿題も終わらせてその後も談笑して、彼女の門限の前には家に送って笑顔で別れたはずだ。
(…やはり一昨日は別に怒らせるようなことはしてないな)
 一昨日に問題がないのなら。
「……昨日、か?」
「!」
 呟いた言葉にヒトミの肩がぴくりと反応したのを横目で見て、原因は昨日なのだと確信して昨日の出来事を思い出していく。
(…とはいっても、昨日は確か会っていないはずだが)
 本来は会う約束をしていたのだが、蓮に急な講義が入ってしまい、夕方前にキャンセルの電話をしたのだ。
 もちろんその電話でも怒らせるようなことを言った覚えもないし、彼女も(少し残念そうではあったが)怒っていなかったはず。
(…駄目だ。まったく分からない)
 彼女に聞こえないように、もう一度溜息をついた。

 だが、原因は必ず俺にあるのだろう。
 他のことが原因ならば俺の前で出さないようにするだろうし(100%分かるが)、自分自身が原因なら怒るというより落ち込んでるはず。

 そう考え直して、昨日の自分の行動をもう一度思い出す。
(…朝はいつも通り大学へ行って、夕方前に講義が入ってヒトミとの予定をキャンセルして)
 それから講義が終わった後にすぐにもう一度ヒトミに電話しようとしたが、いきなり友人に居酒屋に連れて行かれ、2時間ほど捕まって(俺はそんなに飲まなかったが)
 その後、9時過ぎに居酒屋を出て、少し寄り道をしてマンションに―――…。
(…そういえば橘に会ったな、帰りに)
 ふと向かいの道を見遣ると、部活帰りだろう橘がいて。目が合ったかと思うと、律儀に礼を返されたんだったか。
 …しかし、これが分かってもやはり原因は分からない。彼女にもう一度聞こうと口を開いた。

「…本当に心当たりないんですか、一ノ瀬さん」
 だが、空気を震わせたのは恋人の声だった。
「…あぁ、ない」
 その言葉に彼女がまた少し落胆した空気を感じ、せめてもう少し言い方を考えればよかったと後悔する。
 だが、ここまで考えても原因は分からないし、俺自身彼女を怒らせるようなことをした覚えもない。

 自分に非がなければ謝らない。

 昔から蓮はそういう人間だ。もちろん彼女も分かっているのだろう、再び彼女が口を開いた。
「…橘くん、見ました?」
「?あぁ、目が合ったら律儀に頭まで下げられたな」
「…なのに心当たりがないんですか」
「?」
 何故分からないのかと言いたげなヒトミの言葉に眉をひそめる。
 橘と、ヒトミが怒っていることと。
 どう関係があるというのだろうか。
「…悪いが」
 俺の一言を聞くなり、ヒトミはくるっとこちらを振り返った。
 怒っているような、悲しそうなその複雑な表情に抱き締めたくなりそうになるのを(辛うじて)我慢する。
 ヒトミが俺から聞きたいのは真実だ。その真実が俺自身分からない以上、抱き締めても彼女は心から安心しないだろう。
 静まり返った部屋に時計の音だけが響いた。

「…と…しょう…」
「え?」
「女の人と一緒にいたでしょう!!」
「…はぁ?」

 突然言われた言葉に思わず拍子抜けな返事をしてしまった。
 …俺がヒトミ以外と?…どこで?
「橘くんから聞いたんですからね!!綺麗な黒髪の女の人と一緒だったって!!」
 黒髪の…?……。
 ようやくその人物が思い至り、尚且つヒトミの言わんとする意味も分かった俺は、あぁ…と呟いた。
 なるほど、そういうことか。
「…そうだな、確かにいたな」
 冷めたコーヒーに口付けながら答える。
 やっぱりと言わんばかりのヒトミを一瞥して。
「他のヤツらも一緒だったが」

「………へ?」
 今度はヒトミが拍子抜けな返事をした。
「いきなり居酒屋に連れて行かれてな。その帰り道に橘に会ったんだ」
「………でも…黒髪の…女の人と一緒に歩いてたって…」
「あまりにも歩くのが遅いからアイツらを置いて行ったんだが、一人じゃ面倒見きれないと彼女が追いかけて来てな。橘が見たのは多分その時だろう」
「……」
 呆然としているヒトミにやっぱりかと溜息をつく。

 ――つまりはこういうことだ。
 橘から俺が見知らぬ女と一緒にいたと聞いた彼女は、俺が浮気していると勘違いした、と。

「…ついでに言うと、彼女の恋人も後ろのメンバーの中にいたんだがな」
 その後彼女に言われて、しょうがなく全員を家の近くまで送ってやったんだ。
 そう言って、目の前の恋人を見遣ると申し訳なさそうに俯いていた。
「…で。お前は俺が浮気してると思ったのか?」
「……ごめんなさい…」
「だからお前は考えが足りないと言うんだ」
「…だって…」
 溜息を一つ落とすと、俯いたままの彼女を一瞥して。

「―――ヒトミ」

 ヒトミの腰を優しく引き寄せて膝の上に座らせた。
「い、一ノ瀬さ…?」
「妬いたのか?」
「…っ!ち、違います!!」
 慌ててそっぽを向く恋人に気付かれないように微笑む。

 これまでの人生、身内でもない――…他人の為にこんなにも頭を使ったことがあるだろうか。いや、ない。
 それ以前に俺自身、自分以外の為に頭を使うことなんてないと思っていたのだが。
 …しかし、そう思っていたのはヒトミに会う前の自分で。
(…まったく)
 今の頭の中は文字通り、彼女一色で。
 以前の自分とはあまりに違い過ぎて、思わず苦笑する。

「…妬いてくれるのは有り難いが、」
 ヒトミへと顔を近づける。
「あれほど言ってるのにまだ分からないのか?」
「へ?」
 不思議そうに俺を仰いでいる彼女の頬に手を添えて。
 額にキスを一つ落とした。
「!?!」
 何か言いたそうな彼女を無視し、次いで頬に口づけて。
「い、一ノ瀬さん?!」
「…こんなことをしたいと思うのはお前だけだ、と」
 真っ赤に頬を染めた彼女に続ける。
「何度言ったら分かるんだ?お前は」

 そう困ったように微笑んで。
 唇を重ねた。

 まったく。
 鈍くて、愛しい彼女にはいつも振り回されてばかり。
(―――まぁ、でも)


 そんな自分も悪くない。






  違うお題を書いていたのに…ミステリー!あと長い!(お前だ)
  久々のラブレボで若干書き方忘れてた!一ノ瀬さんキャラ違うよね…。
  お題が『ケンカ』だけど…ヒトミちゃんが怒ってるだけですねこれ!(でも気にしない!)
  どうやら一ノ瀬さんはヒトミちゃんを膝の上に座らせるのが好きなようです。思う存分すればいいよ!

  ここまで読んで下さってありがとうございました。
  2008.03.28