最近。
 あいつを思うと胸が苦しくなる。
「それって『恋』なんじゃない?」
 綾人は面白そうに笑ってそんなことを言った。

 俺があいつに『恋』?

 そんな馬鹿な。


 どすどすっと廊下に重い足音が響く。
(……またか…)
 蓮は軽く溜息をつくと、後ろをくるりと振り返った。
「ぅわぁ!?」
 今まさに声をかけようとしていたのか、真後ろにいたその人物は驚いた声をあげた。

「…うるさいぞ桜川」
 彼女の叫び声を間近で聞くのはかなりキツい。思いきり不快な顔をする。
「す、すいません、一ノ瀬さん」
 彼女――…桜川ヒトミが慌てて頭を下げる。
 桜川は俺が住んでるマンションのオーナーの娘で、兄の鷹士さんと一緒に同じマンションに住んでいる。
「その見苦しい体型で走るな。廊下が揺れて迷惑だ」
「うぐ…っ。す、すいません…」
 見苦しい体型と言っても、以前は100kgあったが、最近はダイエットを始めたらしく70kgになっていた。
 ――とは言っても、俺からして見ればまだ『見苦しい体型』の内だが。
「で、何の用だ」
「あの、今日お兄ちゃんが食事会を」
「断る。」
「即答ですか!?!」
「俺にはお前と和気あいあいとする理由もなければ、そんな無駄な時間も持ち合わせていない」

 ぴしゃりと断る。が。
「いえいえ!きっと楽しいですから!一ノ瀬さんも一緒に食べましょうよ?!」
「……はぁ…」
 大袈裟なジェスチャーをしながら食い下がる桜川を横目で見て、溜息を落とした。

 彼女が自分の家の行事に俺を誘うのは、これが初めてではない。
 最初は歓迎会、次は親交会など何かと理由をつけては行事を催し、それに毎回と言っていいほど誘われているのだ。
 初めの内は断ると「そ、そうですか…」とすぐに諦めたものだったが。

(……確か…)
 休日に俺の部屋に来るようになる頃だったか。
 断っても「一ノ瀬さんも来て下さいよ」と食い下がるようになったのは。
 マンションでも学校でも馴れ馴れしくするなと言っていたにも関わらず、ある日突然、こいつは俺の部屋を訪れた。
「お茶でもしませんか?」遠慮がちにそう言いながら。
 丁度暇だったので、気まぐれに付き合ってやった訳だが。

「桜川」
「それで……って、はい?」
 まだ喋っていたらしい(悪いが聞いていなかった)桜川の言葉を遮る。
「お前、何で俺に構う」
「は?」
「は?じゃない。別に俺じゃなくてもいいだろう。誘うのは1年でも構わないんじゃないのか?」
「別に…橘くん達でも大丈夫ですけど…」
「なら、どうしてだ」
「えっと…その…」
「なんだ。はっきり言え」

「わ…私が一ノ瀬さんと一緒にいたいだけですけど…」
「…………は?」

 その言葉に一瞬、耳を疑う。
 …俺と一緒がいい?
「……何で」
「え!?えっと…なんと言いますか…」
 追求されると思わなかったのだろう。桜川は困ったようにあたふたと慌てている。
「はっきり言えと言っている」
「い、一ノ瀬さんといたら楽しいですし…」
 ……楽しい?
「楽しいことなんてお前と一緒にした覚えはないが?」
「いえ…一ノ瀬さんはそう言うと思ってましたけどね……」
 桜川は乾いたように笑うと、「でも、」と続けた。

「私は楽しいです。それに一ノ瀬さん優しいんですもん」
「…”優しい”?」
 にっこりと笑う桜川に眉をひそめる。先ほどから聞き慣れない単語が多過ぎる。
「お前に優しくした覚えも毛頭ないが」
 きっぱりと断言する。これは誓ってもいい。
 こいつみたいな自己管理が出来ない人間が、俺は一番嫌いだからだ。

(……まぁ、ダイエットを続けているのは評価してもいいが…)
 考えに耽(ふけ)っていると、桜川が「うーん…」と困ったように笑った。
「…確かに一ノ瀬さんって、他人に厳しいし言い方悪いしなんかちょっと上から目線ですけど…」
「……喧嘩を売りに来たのか、お前は」
 息継ぎなしで一気に言うとはいい度胸だ。
「あぁっ!えっと、そうじゃなくてですね!!」
 その言葉に桜川は慌てて続ける。
「どんなに文句言っても、結局一ノ瀬さんって最後まで付き合ってくれるじゃないですか」
「……そうだったか?」
「はい!…じゃなくて、一緒に食事会しましょうよ!お兄ちゃんの料理おいしいんですから!」
 まだ食い下がる桜川に溜息をもう一つ。相変わらずしつこい。
 …だが。
「…おい」
「は、はい!?」
「何時からだ」
「え…?あっ…それじゃ…」
「勘違いするなよ。今日は用がないだけだ」
「っはい!」
 満面の笑みの桜川を一瞥して、気付かれずに笑う。

 正直言って、どうして行くと言ったのか今はまだ分からない。
 ただ、不意にこいつが喜ぶ顔が見たくなっただけだ。

 ―――ただ、それだけ。


 いつか遠くない未来に。

 俺の隣りには以前の見る影もなくなった愛しい彼女が眠っていて。俺はそのくるくるとした髪を撫でていて。

 こいつに恋をしたのはいつからだったか、と。
 そう思うようになるなんて。


 その時の俺は、まだ、知らない。






  キューピッド神城参上!(笑)
  そんな訳で一人称で書いてみましたが、ぐだぐだ感が否めない!(開き直り)
  一ノ瀬さんは恋に気付くのに時間がかかるイメージがあります。「そんな馬鹿な。フン(嘲笑)」みたいな。

  ここまで読んで下さってありがとうございました。
  2008.03.24 修正・加筆