「…non-contact three-dimensional measurement device…」
「………」
「……」
反応のない隣りを見遣って溜息をつく。
そして。
パコォォン!
小気味いい音が、部屋に響いた。

「いっ、痛いじゃないですか!一ノ瀬さん!」
見事にクリーンヒットをもらったヒトミが涙目で蓮に言う。
「寝てるお前が悪い。丸めてやっただけ有り難いと思え」
クリーンヒットを打った張本人はきっぱりと言い切った。蓮の手にはバットならぬ教科書が丸めて握られている。
「だ、だからって、なにも教科書で叩くこと…!」
「……そうだな。教科書は勉強する道具だからな。ただそれを使わず寝てるヤツがいたから、せめて起こす時ぐらい使ってやろうと思ったんだが?」
今まさに夢の扉を開こうとしていたヒトミは「うっ…」と声を飲んだ。
「それに、休日に人の家に上がり込んで試験勉強を教えてくれと泣きついて来たのはどこの誰だ?」
「わ、私です……」
蓮の言葉にヒトミは思わず目を逸らした。
事の始めは一昨日に遡る。
大学から帰宅した蓮が見たものは、ドアの前で座っている彼女で。蓮に気付くと「一ノ瀬さぁぁぁん〜!」と文字通り泣きついて来たのだ。
理由を聞いた蓮はもちろん「自業自得だ」とはっきり言ったのだが、あまりにも切羽詰まっていた…というか涙目の上目遣いで見られたので、つい勉強を見てやると約束して、現在に至る。
本当にこいつには甘いと自分でも思う。
「…なのに居眠りするとは、どういう了見か言ってもらおうか」
「うう…だって、英語って変な呪文みたいで眠くなるんですよ…」
「英語は世界の共通語だ。まぁそれはいいとして…」
教科書を朗読し始めて5分。これでこの様だ。
まさかとは思うが…。
「お前…授業中に寝てるとか言わないだろうな…?」
「なな何言ってるんですか!」
「………」
ヒトミは嘘がつけないんじゃないかと心底思う。…それも彼女の美徳だと思うが。
「…しょうがない。とりあえず休憩にするか」
ヒトミの頭にぽんっと手を置いてキッチンに向かう。自分にはブラックを、ヒトミには少し甘目のカフェオレを容れた。
以前、ヒトミにブラックを飲ませてみたら「に、苦過ぎですよ!」とものすごい顰(しか)めた顔をしたことがあった。
それ以来、彼女にはカフェオレを容れることにしている。
「ヒトミ。カフェオレで…」
そこまで言いかけて、蓮の言葉は途切れた。原因は視線の先。
…彼女は夢の扉を完全に開いてしまったようだ。
「はぁ…」
とりあえず、コーヒーとカフェオレを机に置く。
「すぅ…」
気持ち良さそうに寝ているヒトミを見る。この際、教科書を枕にしているのは彼女の可愛い寝顔で目を瞑(つむ)ろう。
「…学校でもこんなに無防備になっているんじゃないだろうな」
寝顔を眺めながら呟く。
彼女はどこでも寝るからありえないことではない。だが、一番の問題は彼女が鈍感過ぎることだ。
俺が高校3年の時、まるで壁のような容姿だった彼女は見事55kg落とすというダイエットを成功させた。
自己管理が出来ていないと思っていたが、時が経つにつれ彼女の一生懸命さやひたむきさに徐々に惹かれている自分に気付いた。
人と深く関わらない。
…麟の事件を境に、俺はそう思っていた。
でも。
『一ノ瀬さん』
彼女はいとも簡単に俺の中へ入り込んで来て。
氷が溶けるように、ゆっくりと。俺の心も溶けて。
気付けば、隣りの彼女のことを想っていた。
愛しい、なんて。
また誰かをそう想うようになるなんて思っていなかった。
「……分かってるのか?」
寝ている彼女の髪に触れて、ぽつりと呟く。
彼女のことを愛しいと思っているのは、俺だけじゃないのは分かっている。
マンションのヤツらは元より、彼女のクラスの男子や他のクラスの男子までも彼女にちょっかいを出しているらしい。
「まったく」
鈍感過ぎるのが罪だと、そう思ったのは初めてだ。
「…ん…一ノ瀬さん……?」
「悪い。起こしたか」
「……、………、………ッ!!!!」
まだ頭がぼーっとしていたヒトミだが、蓮の言葉で完全に覚醒した。
寝てた!?寝てたの私!?
ヒトミは自分のこの迂闊さを本気で呪った。
「す、すいません!!!私が頼んだのに…!!」
「別に構わない」
そう笑って乱れた髪を手櫛(てぐし)で直してやると、ヒトミが恥ずかしそうに笑った。
「……You made me happy」
「へ?」
「I can't help falling in love with you」
「え、えーっと…?」
「I really do love you」
「あの…い、一ノ瀬さん?今なんて…」
恐る恐る一ノ瀬さんに聞く。「happy」と聞こえた気がしたので、怒られてるのではないのだろう。
(……っていうか…loveって聞こえたような…)
もしかしたら、すごく嬉しいことを言われたのかもしれない。
「さぁな。そのくらい自分で調べろ」
蓮はふっと笑って少し冷めたコーヒーに口付けた。
懸命に調べる彼女を見遣って、意味が分かった時の彼女を想像してまた笑う。
『本当に、君を愛してる』
第2弾は一ノ瀬先輩。や、やっと出来た…!!
冒頭の英語は教科書から抜粋。核兵器がなんとか…(アバウト)
ちなみに一ノ瀬さんが話した英文の訳。
(上から)『……君は俺を幸せにしてくれた』『君を好きにならずにいられないんだ』『本当に、君を愛してる』
ヒトミちゃんは必死に翻訳中。意味が分かった途端に真っ赤になると思う。一ノ瀬さん大満足(笑)
ここまで読んで下さってありがとうございました。
2008.10.14 修正・加筆
