昼下がり。保健室に盛大な溜息が落ちた。


「…桜川…。お前本当にタイミング悪ぃな…」
 龍太郎は煙草を渋々としまいながら、ヒトミを見遣った。
「…先生。保健室は禁煙ですよ?」
 というか、教師が堂々と煙草を吸っていいのだろうか(今更な気もするけど)
「んな事わーってるよ。んで?どうしたって?」
「はぁ…ちょっと風邪気味で。頭痛が少し」
 一応、なんですけど。
 そう続けるヒトミに椅子に座るように促して、体温計を差し出す。
「とりあえず、熱計ってみろ」
「脂肪がなくなってから急に寒くなった気がして」
 体温計を受け取りながら、あははと笑う桜川の言葉に思わず頷く。
「…にしても、ここまで変わるなんてな」
「私もびっくりです」
 目の前で屈託なく笑う桜川は余分な脂肪がなくなり、すっきりとした体型だ。
「先生が色々手伝ってくれたおかげですよ」
 熱を計りながら言う桜川にニヤリと笑う。
「可愛いこと言ってくれるねぇ、ヒトミちゃん?」
 その言葉に固まったヒトミを見て、龍太郎はくくっと笑いをかみ殺す。
 いつ見てもコイツの反応は面白い。

 体温計が鳴り、ヒトミから体温計を受け取った龍太郎はふむ、と少し考え込んだ。37度を少し超えている。
「微熱だな」
「去年はこの時期全然風邪引かなくなったのに。やっぱり先生のおかげですね」
 えへへと笑う桜川の額をビシッと指で弾く。
「いだっ!何するんですか!」
「風邪引くことの何が嬉しいんだ。…ったく。一応休んでけ」
 カーテンを開けて、桜川をベットに座らせる。
「でも、まだ授業が…」
 そう言いかけて、ちょうど5限目を知らせるチャイムが鳴った。
「あぁっ!鳴っちゃった!」
「授業っつったって5・6限だけじゃねぇか。小せぇこと言うなよ」
「いや、結構でかいですよ!?」
 単位取れなかったらどうするんですか!
 尚も断ろうとする桜川を一瞥してニヤリと笑う。
「…一人で寝るのが寂しいなら、特別に添い寝してやってもいいぜ?ヒトミちゃん?」
「え!?…ぅわっ!?」
 驚いた拍子にヒトミが後ろに倒れた。
「っおい!」
 危うくベットの端で打ちそうだった桜川の頭を間一髪で支える。
「す、すいません…」
「…なんならこのまま保健体育の授業してもいいんだがな?」
 桜川を押し倒しているような体勢で彼女の髪を掬い上げ、唇で触れる。
「遠慮します!!!」
 ダラダラと冷や汗を流しながら必死に首を振る。
「くく…相変わらず面白いヤツだな」
「からかわないで下さいよもう!セクハラですよ!」

「…セクハラ、ね」
「え?」
「…セクハラっつーのは、こういうことを言うんだぜ…?」
 そう小さく呟いて、龍太郎の顔がヒトミに近づいた。
「せ…?」
 ヒトミの唇に龍太郎が触れる、その、瞬間。

「―――先生」

 低い声が保健室に響いた。いつの間に入って来たのか、ドア付近に人が立っている。
 その人物を見て龍太郎は心の中で舌打ちし、その人物の冷えた空気にヒトミは固まった。
 人影は二人を一瞥して静かに続けた。

「すいません。…綾人がまた」
(…え?神城先輩?)
「…おう、そうか」
 何事もなかったかのようにベットから降りる。
「どこだ?」
「教室です。……」
 そう言いながらその人物――この学園の人気No.1である一ノ瀬蓮はヒトミを一瞥すると、彼女はこちらを見たまま固まっていた。
 眉間に皺をよせて、龍太郎に視線を戻す。
「…先生。人の彼女に手を出さないでもらえますか。それとも何か用事でも?」
「…彼氏持ちの女に手を出すほど飢えてねぇよ」
「……」

「――…今まではな」
 一ノ瀬の横を通り過ぎながら、桜川に聞こえないよう低く呟く。
「っ!!」
 振り返る一ノ瀬に気付かないふりをして桜川に視線を向ける。
「…じゃあな、桜川。保健体育の授業は次回のお楽しみだ」
「いりませんってばっ!!!」
 二人の様子に気付かず顔を真っ赤にするヒトミに笑いながら龍太郎は保健室を後にした。

 3年の教室に向かっていると、保健室から「ひゃいっ!?」と素っ頓狂な声が聞こえた。大方、一ノ瀬に何か言われているのだろう。
「……」
 正直。
 一ノ瀬が来なかったら、危なかった。

 唇を落とした柔らかい髪、華奢な体、近づくほどに鼻孔をくすぐるアイツの香り。

 …まったく。
「…やっかいなことに気付いちまったな…」
 小さな呟きは誰に聞かれることもなく、消えていった。


 さて。主が消えた保健室では、蛇に睨まれた蛙よろしくヒトミが固まっていた。
(こ、怖…!!)
 私の彼氏こと一ノ瀬さんは不機嫌そうに顔を顰(しか)めて窓の外を見ている。
(な、何で怒ってるの?!私何かした!?)
「………それで?」
「ひゃいっ!?」
 いきなり話しかけられて声がひっくり返ってしまった。
「……何してたんだ?」
「な、何とは…?」
「……保健医と何をしてたんだと聞いている」
 保健医ってことは。つまり先生、だよね?
「…?特に何も…」
 していませんよ?
「……」
 きょとんと首を傾げる彼女に深く溜息をつく。
「一ノ瀬さん?」
「…保健医とベットに倒れていたのにか」
「…え?…あ…!それは…っ」
 質問の意味がようやく分かったらしいヒトミは目を見開いた。
「ご、誤解です!私がベットの端で頭を打ちそうになったのを先生が支えてくれて!」
「……」
「一ノ瀬さん!」

 分かってる。コイツはそんなヤツじゃないってこと。
 何もしていないし、そんな考えさえ微塵もなかったのだろう。

 ――だが。

「…だけ…だから…!」
「!」
 ヒトミがぽろぽろと涙を流しながら俺を見上げる。
「わ…私が好きなのは一ノ瀬さんだけ…っだから…!」
 ―――あぁ。愛しい彼女。
「…ヒトミ」
 ヒトミにそっと手を伸ばして瞼にキスを落とした。1回、2回。
 そして頬を伝う涙を唇で拭い取る。ほのかに塩の味がした。
「…悪かったヒトミ」
 ベットに座って彼女を膝に座らせる。
「…お前が悪くないのなんて分かってる」
 もう一度ヒトミの瞼に唇を落とす。

 あの時。体中の血が沸騰したかと思った。

 柔らかい髪が絡めとられていて。
 華奢な体は組み敷かれていて。
 唇と唇が触れそうで。

 他の男が、――…自分じゃない誰かが彼女に触れていた。

「…お前が、俺以外のヤツに触れられたかと思うと、気が狂うかと思ったんだ」
 ヒトミの背中に回している手に力を入れる。
「一ノ瀬さん…」
 あぁ、この人は。なんて、暖かい。
 ヒトミはきっと自分は世界で一番幸せ者だと思った。

「………が。」
「はい?」
「お前も隙があり過ぎだ」
「は?何のことですか?」
「………」
 きょとんと首を傾げる彼女を一瞥して再び溜息をつく。
(…まぁ…、隙があれば”あの野獣”がいるここに用もないのに来る訳が…)
 そこまで思考を巡らせて、はたと何かに気付いた。
 …保健室に用事?
「…ヒトミ。お前、何でここにいる?」
「え?ちょっと頭痛が…っあ!」
 そう言いかけてしまったと口を隠す。が、時すでに遅し。
「…熱は?」
「いえ、あの…頭痛って言っても大した事じゃな…」
「熱 は ?」
「…さ、37度過ぎです…」

「……」
「……」

「……ヒトミ」
「は、はい…」
 恐る恐る一ノ瀬さんを見ると、にっこりと笑っていた。が。
(目…!目が笑ってない…!!!)
 ダラダラと汗を流すヒトミに笑いかけて。
「俺が何を言いたいか…分かるな?」
「…すぐ寝させて頂きます…」
 心地よかった一ノ瀬さんの膝から降りて、冷たい布団の中に潜り込む。
 少し固いベットが軋んだ。
「…あ。一ノ瀬さん…授業いいんですか?」
 忘れていたが、今は5限目だ。神城先輩のことを言いに来ただけなのにこんなに長居させてしまった。
「別にいい」
「え?」
「…ついててやる。だから寝ろ」
 優しく笑って、手を握ってくれる。
 微かな体温が心地よかった。

「…ありがとうございます、一ノ瀬さん」
「あぁ」
 柔らかく笑う一ノ瀬さんに笑って目を閉じた。
 隣りにいてくれる、愛しい人と夢でも逢えたらいいな、なんて思いながら。

「…」
 寝入ったヒトミの手の甲に唇を落とす。
 こんなにも愛しい彼女を、手放すつもりなど毛頭ない。
「渡して、たまるか」


 例え、誰であろうとも。






  前サイトのものをちょっと変えてアップ。
  一ノ瀬さんvs先生です。三つ巴は大好物です。
  2人はもうヒトミちゃんを巡ってバチバチやってればいい(笑)
  いつもセクハラまがいな事してる先生だけど、本当にヒトミちゃんを好きになったら思わずちゅーとかしちゃうに違いない!

  ここまで読んで下さってありがとうございました。
  2008.03.24 修正・加筆